latfiheの断面図

考えごとの成果を書きます。

言葉に負けない

 私たちは、自分の頭の中にあるものをさまざまな形で表現しています。その中でも言葉は一番有力な表現のしかたです。表現できる内容の幅も広いですし、声にのせることも文字にのせることもできるという他にない強みがあります。そのため、言葉は僕たちが情報をやり取りするのに一番よく使われています。

 しかし、言葉にも表現するのが得意なこと、苦手なことがあるはずです。それでも他の表現のしかたで代用できる場面は少なく、苦手な内容でもどうにか言葉で表すしかない場合が多いように思われます。*1この結果、本来対等な内容でも、言葉で表しやすいものほど人々の間に伝わりやすいことになります。例えば、駅の出口で傘を開いているときに、なぜ傘を開くのか尋ねられたとします。雨が降っているならば、「 雨が降っているからです。」と答えるだけです。*2一方、「 さっき電車のドアに傘が挟まれてしまって、骨が折れたりしていないかどうか確認するためです。」というのが答えの場合は大変です。どちらの答えも妥当な理由ですが、言葉を使った表現のしやすさには大きな差があります。僕は後者の答えがスラスラ口から出てくる自信はありません。

 傘を開く理由くらいは大したことないですが、例えば自分の意見を提示しないといけないとき、それもその意見が今後に影響するようなときだと困ります。*3自分が持った意見がたまたま言葉で言い表しやすかったかどうかで、周りの人たちに自分の望みを納得してもらえるか、さらにそれが実現するかが左右されてしまうのは不公平です。この不公平を少しでも和らげるためには、他の人の意見の背後に言葉になりきれていない部分があるのではないかと考えることが役に立つと思いました。*4これは難しいです。まず、誰かの話を聞いて最初にした解釈を一旦保留して、それ以外にもっと伝えようとしていることがあるかもしれないともう一歩先へ進むことが難しいです。*5第二の難しさは、話している人自身の考えが不完全な自分の言葉に影響されてしまう点です。後半はこれに関する話です。

 僕たちが頭の中でものを考えるときも、言葉を使うことは有効です。頭に浮かんだものを言葉の形にすることで、忘れづらくなったり、客観的に見つめられるようになったりします。紙に書き出すのと似ているかもしれません。*6そのような理由を意識するまでもなく、皆さんは常に自分の考えたことや感じたことを言葉で表すことをしているでしょう。

 こういうときにも、言葉で表現しやすさの問題が影響します。頭に浮かんだものを言葉で表すときに、より表現しやすい内容に入れ替わってしまうことがあるのです。例えばある人の話を聞いて、否定的な感想を覚えたとしましょう。その話に間違いがあるとしたら、「それは違うと思った」とその感想を表現できます。非常に分かりやすいです。しかしその感想は本当に合っているか、間違っているかから来たものでしょうか。実際にはその人の話の内容や話し方から、背後にあるその人の考え方を読み取り、それに対して感想を抱いているのかもしれません。そうだとしたら、ちょっと論理を細工して間違いの部分を修正しても、感想は変わらないはずです。しかし、頭の中で自分の抱いた感想を「それは違うと思った」と表現したことによって、いや、違くないじゃないかと自分で自分の感想を否定してしまうかもしれません。感じたことは同じなのに、それを言葉にしやすい状況になっているかによって、自分の感性を肯定できるかが左右されています。

 先ほど話していた意見の表現しきれていない部分を見捨てない難しさも、こういう状況の一例です。意見を言葉にしたことによって、本来持っていた考えを反映しきれていなかったとしても、自分自身の言葉で考えが塗り替えられてしまっているかもしれないのです。こういうときに、あなたは本当はこういうことを考えているんじゃないですかと聞いても、いや違うよとなるだけです。

 頭の中で言葉を編み出さずに思考を進めるのはとても無理です。それによって自由な思考が妨げられてしまうとすると、ここに人間の思考に立ちふさがるひとつの壁があると言えそうです。自分で自分の考えを歪めてしまうのは、不幸なことだと思います。それどころか、自分が伝えた言葉によって誰かの考えを歪めてしまうことも起こりえます。*7僕にはこれは暴力的にすら感じられます。自分自身も、周りの人も、自由に感じたり考えたりしてほしいと思うのですが、それを実現するような言葉の使い方とはどんなものでしょうか。僕は今はまだ試みているだけです。

*1:例えばものの形は言葉にするより描いた方が伝えやすいです。しかし、そのような他の表し方を使えないような内容の間でも、言葉を使った表現の有効さにはばらつきがあるはずだということを書こうとしています。

*2:質問する方がどうかしているという点は気にしないでください。

*3:どんなときだか分かりづらいかもしれません。例として、僕がここに書いているようなことを最初に思ったのは確か中3のときの学級会でした。

*4:それを俺が表現してやるのだと使命感のようなものを感じたときもありました。

*5:ひとつ答えが出たときに考えることをやめないのは常に難しいです。

*6:本当は、言葉の形にした方が気持ちが落ち着くということが動機として大きいかもしれません。具体的な形がある方が頭の負荷が軽くなるのではないでしょうか。このトピックは「納得」の方の記事でそのうち触れたいと思います。

*7:言葉を伝えることは、相手の頭の中にその言葉を導入することです。会話に出てくる言葉を冷静に見てみると、驚くほど多くの言葉が相手から聞いた言葉を再利用したものです。